別居婚で迎えた初めての出産|立ち会いなしでも夫婦の絆を深めた方法

妊婦さん 妊娠・出産

妊娠発覚から別居婚での準備

妊娠がわかった日、私は電話で夫に伝えました。画面越しの声は驚きと喜びにあふれていて、その瞬間は本当に嬉しかったことを覚えています。私たちは、いわゆる「別居婚」で、遠距離で暮らしており、会えるのは限られたタイミングでした。妊娠してからの健診はすべて一人で受けましたが、病院の待合室には旦那さんに付き添ってもらっている妊婦さんもたくさんいて、少しだけうらやましく感じることもありました。

でも、私たちは「私は一人でも大丈夫」と自分に言い聞かせていました。夫婦で別居で出産・育児に臨むと決めていたからです。エコーの画像や赤ちゃんの成長記録は、すぐに夫に送って報告しました。また、妊娠中は毎晩の夕食を写真で共有。妊娠前は食が細く心配されていたので、私なりに「ちゃんと食べてるよ」という安心を伝えたかったんです。

立ち会いなしを選んだ理由

妊娠後期になると、周囲から「立ち会い出産するの?」「来てくれるの?」という言葉をよくかけられるようになりました。正直なところ、最初は私も「立ち会ってほしい」と思っていました。出産という人生の大きな出来事を、そばで感じていてほしい。心細さも、不安も、共有できたら…と。

でも私たちには、現実的なハードルがありました。夫は仕事の都合で急に休みを取ることが難しく、いつ出産になるか予測できない状況では「立ち会える保証」がなかったんです。さらに、私の心の中には矛盾した思いもありました。「もしそばにいてくれたら、きっと心強い。でも同時に、苦しんでいる姿を見られたくない」という初めての出産に対する怖さと、見苦しい自分をさらけ出す恥ずかしさが入り混じっていました。

そんな葛藤の末、私たちは「立ち会いなし」で出産を迎えることを、ふたりで納得して決めました。決して、愛情がないわけじゃない。無理をしない、でも気持ちのつながりはちゃんとある、私たちらしい選択でした。

妊娠期間中の工夫

ひとりでの妊婦健診は、慣れるまではやっぱり少し心細かったです。診察のあとは、涙が出そうになる日もありました。特に、初めて心拍を確認したときや、性別が分かった日──あの瞬間を一緒に共有できたら、もっと特別に感じられたのかもしれません。

でも、そうやって「一緒にいられない」からこそ、私たちは“共有する努力”を重ねました。健診内容はすべてメモして、エコー写真も毎回夫に送信。夕飯の写真も共有アプリで送って、ちょっとしたコメントもつけていました。

たとえば、「今日は病院で‘順調’って言ってもらえたよ」や「このごはん、○○(赤ちゃんの仮の名前)にもいいらしい!」といった小さなやり取りが、日常の一部として自然に続いていました。

手紙と父親になる実感

出産直前、夫に手紙を渡しました。「立ち会いはできないけれど、もう生まれるというときになったら読んでね」とだけ伝えて。初めての出産は命がけになるかもしれない、そして出産を境に心や身体が大きく変化する産後クライシスが怖かった。だから今のうちに、妊娠期を一緒に乗り越えてくれた感謝、そして「あなたを愛しています」という気持ちを、形にして残しておきたかったんです。

夫は手紙について産後に触れることはありませんでしたが、産後の私の変化にはとても敏感に気づいてくれて、声をかけてくれたり、そっと気遣ってくれたり…。言葉で何かを言わずとも、手紙の想いがきっと届いていたのだと思います。

また、妊娠中から夫が父親としての実感をなかなか持てないことに悩む日々がありました。私は母親になる実感が日に日に強まっていく一方で、夫はどこか「これから」という感覚で、妊娠・出産・育児に関する知識も私任せになりがちでした。その状況に不満を感じることもありました。

夜になると、そのもやもやした気持ちを電話で夫に伝えることが習慣になりました。「もっと赤ちゃんや私のことを考えてほしい」「これからどうしていくか、一緒に話し合いたい」と率直な思いを伝えると、夫はいつも真摯に受け止めてくれました。「ごめんね」と謝るだけでなく、「どうすればもっと協力できるかな?」と具体的な改善策を考えようとしてくれる姿勢が見えたことで、少しずつ安心感が生まれていきました。

出産当日の記録

その日は突然やってきました。朝、なんとなくお腹が重くて違和感があり、念のため病院に電話すると「すぐ来てください」と。タクシーを呼んで、病院へ向かいました。ひとりで──。

夫はちょうど仕事中で、電話には出られませんでした。着信履歴だけ残し、破水だったこともあって病院に到着するとすぐにベッドへ。正直、内心はとても不安でした。

そんなとき、夫から電話がかかってきました。仕事で疲れていたはずなのに、何時間も電話を繋ぎっぱなしにしてくれて、声を聞いているだけで本当に安心できました。陣痛が強くなってきて、もう話すのもつらくなった頃に、そっと電話を切りました。

それから24時間。陣痛は想像以上に苦しくて、叫ぶ元気すらなく、「このまま終わってしまってもいい」と思ってしまうほど辛かったです。助産師さんも忙しく、孤独の中で耐える時間が続きました。

最終的には緊急帝王切開となり、手術の同意書には実母が駆けつけてサインしてくれました。お腹の中で動いていた命と、やっと対面できた瞬間──「本当に、私の中にこの子がいたんだ」と、全身の力が抜けるような感動がありました。

別居婚で育児をする日々

出産直後、退院の日には夫が迎えに来てくれて、そのまま数日間、3人で一緒に過ごすことができました。赤ちゃんを抱く夫の姿を見て、「この人と家族になれてよかった」としみじみ感じたのを、今でもよく覚えています。

その後、またそれぞれの生活に戻り、私と赤ちゃんは東京で、夫は遠方で仕事をする日々が再スタートしました。「一緒に住んだ方が楽だろうな」と思う瞬間ももちろんあります。たとえば、お風呂を協力して入れられること、夜泣きに交代で対応できること、誰かに預けて出かける自由があること。同居のご家庭をうらやましく感じることもあります。

けれど一方で、「育児の分担」で生まれるストレスについてもよく耳にします。たとえば、泣いているのにパートナーがきちんとあやさない、寝かしつけたのに大きな物音を立てられてしまう…。そんな日常のストレスが、積み重なることで夫婦関係に影響を与えることもあると聞きます。

その点、我が家にはそういったストレスはありません。夫がこちらに来たときは、育児に積極的に参加してくれます。そのやり方が私のやり方と違うと感じることもありますが、口出しはしません。夫なりに勉強して、考えて、行動してくれていることがうれしいのです。そして何より、私自身も「その方法の方がいいかもしれない」と思える柔軟さを持てるようになりました。

別居婚だからこそ、お互いが「育児に向き合う姿勢」を尊重し合える。私はそんな関係に、安心と希望を感じています。

まとめ:別居婚でも立ち会いがなくても心はひとつ

初めての出産をひとりで迎えること、そして別居婚のまま子育てをすることに、正直、不安がなかったわけではありません。けれど、「だからこそ生まれたつながり」や「距離があるからこそできた思いやり」も、確かにありました。

立ち会えなくても、私たちはちゃんと「一緒に出産に臨んだ」と感じています。そして、物理的に一緒にいなくても、夫婦で子育てに向き合っていけるという確信も持てました。

別居婚という形は、まだまだ少数派かもしれません。「大変そう」「子育てはやっぱり一緒がいいよね」と思われることもあるでしょう。でも、どんな家族のかたちも、それぞれに「幸せのかたち」があるはずです。大切なのは、「一緒にいること」そのものよりも、「どう一緒に歩むか」。

今、不安を感じている妊婦さんや、育児中の方、別居婚を考えている方がいたら――少しでも「こんなやり方もあるんだ」と感じてもらえたらうれしいです。

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